ACCカルチュラル・カンバセーションズ 〜シリーズ:ニューノーマルにおけるアートを考える〜
第二回:コロナ禍と現代美術 遠藤水城 × 田中功起 × 百瀬 文
ライブ配信日時:2020年7月26日(日) 16:00-17:00
アーカイブ公開URL:https://youtu.be/O3w15BrtrIA
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<要約>
キュレーターの遠藤水城、アーティストの田中功起と百瀬文がコロナ禍における現代アートについて語る。
田中と百瀬はいずれも、スタジオで1人で作業するのではなく、他者とのコミュニケーションを作品化しているアーティストである。遠藤の関心は、コロナ禍によってそのプロセスにどのような影響があるのか、という点である。
遠藤は事前に、2011年を起点とするこの10年間での創作上の、あるいは個人的な重要事項を表にまとめるよう、両氏に依頼していた。田中、百瀬がこの年表を元に語る。
田中はこの10年間を「抽象性から個別具体性への関心の移行」のプロセスであったとまとめる。2011年、東日本大震災の発生時にロサンゼルスに暮らしていた田中は、身体的な経験として震災に触れておらず、同年の横浜トリエンナーレでこの問題を扱うことができなかったことを振り返る。この「失敗」を経て、田中は、震災にまつわる経験を「抽象化」することで個別具体的な経験の差という溝を越え、他者への想像力を起動する創作方法へ向かうことになる。
しかし後年、東アジアをめぐる諸問題へのより機敏に応答したいといった問題意識で日本に再び拠点を移すと、田中の関心はむしろ経験の個別具体性自体へと向いていく。田中は、自身の作品「可傷的な歴史」を例に挙げ、創作するなかで、在日コリアンへのヘイトや差別といった抽象的な概念から、作品を共につくった人々の個別の経験へと関心がシフトしていったプロセスについて語る。
田中はコロナ禍について、新型コロナウイルスをめぐる語彙が個別の経験を捨象する方向に機能していることを指摘する。個別の状況に関わらず、「3密」は避けなければならないし、ソーシャルディスタンスは保たれなければならない。そのような状況下では、個に焦点をあてることが、そのような暴力的な抽象化に対する有効な抵抗のメソドロジーであり得ると、田中は語る。
百瀬もまた、東日本大震災を作品に取り込むことへの葛藤を振り返る。2011年、百瀬は自衛隊員が多く訪れるバーに勤務していた。被災地での活動から戻った隊員の語る悲惨な状況を聞くにつれ、百瀬は、それは自らが「素材」として用いる事ができるものではないと感じ、当時のメディアの状況など、震災の周縁にある問題を作品で扱うことを選んだ。
百瀬は、聾の男性へのインタビューを通して「声」の様々なイメージを扱う「聞こえない木下さんに聞きたいいくつかのこと」を始め、自身の主要作品を時系列順に振り返る。それぞれの作品を通してどのように、セクシャリティ、家族、女性のアイデンティティといった概念を取り巻く問題が扱われてきたかが語られる。
百瀬は、コロナ禍のなかで、社会によって許容される唯一の関係が「家族」に還元されていると指摘する。長距離恋愛など、家族でない関係は、「不要不急」とされてしまうのだ。また、危険を孕んだものとしての「接触」という概念が、他者との接触を避ける事のできる社会的マジョリティによって構築され、接触しないという選択肢を持たない者の意見がないがしろにされていると指摘する。
主催:一般財団法人アジアン・カルチュラル・カウンシル日本財団
協力:山吹ファクトリー